1. オートポリスインターナショナルレーシングコースの由来
オートポリスインターナショナルレーシングコースは、大分県の日田市にあるサーキット場で、もともとはゴルフ場を建設する予定だった土地を利用して作られました。このサーキット場はバイクレースというよりは、F1誘致を目指して建設された点が特徴で、オープンした1990年の翌年には、全日本F3000が開催された歴史もあります。F1チームの一つであるベネトンチームのスポンサーになるなど、ロビー活動や各種の交渉も行われており、1993年にはアジアGPとしてF1開催も決まっていました。その開催に向けて、他のサーキット場には見られないような豪華なホテルや博物館、ヘリポートなども建設したのです。
しかし、日本経済のバブル崩壊とともには倒産してしまい、F1の開催が実現することはありませんでした。もともとゴルフ場建設を予定していたロケーションだったため、アクセスが悪く、大分阿蘇レーシングパークがサーキット場としての運営を行っていたものの、なかなかうまくいかない状態に陥ってしまったのです。
しかし、地域のボランティア及び企業の協力のもと、1996年にバイクレースにターゲットを絞ったオートポリスとして生まれ変わりました。その後、小さなレースを開催しながら経営を立て直し、現在では全日本GT選手権や全日本ロードレース選手権なども開催されるほどの実績をあげています。
2. オートポリスインターナショナルレーシングコースの特徴
オートポリスには、インターナショナルレーシングコースのほかにレイクサイドコースとジムカーナ場とがあります。このうちインターナショナルレーシングコースはFIAグレード2の国際公認コースで、コースの全長は4,676メートルに及びます。標高800メートルという高地にあり、コース高低差は52メートル、起伏は激しく上り勾配は最大で7.2%、下りの勾配は10%もあります。レース走行においては、この高低差をいかにマスターするかという点が難しいテクニカルコースとしても知られています。
インターナショナルレーシングコースのように勾配が大きなコースでは、タイヤの摩耗度が激しくなりやすいものです。タイヤ泣かせのコースという異名も持っており、ピットロードは日本国内のサーキット場にしては珍しく、コースの外側に設置されている点も特徴です。これはピットで作業するスタッフにとっては大きな影響があり、マシンが走行する方向がほかのサーキットと比較して逆方向になるため、調整が難しくなってしまいます。
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