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マン島TTレースの歴史

世界のバイクレースの中でも知名度の高いレースのひとつ「マン島TTレース」は、世界最古の公道ロードレースであると同時に、最も危険なバイクレースとしても知られています。

モーターレースの歴史とマン島TTレースのはじまり

19世紀末、内燃機関の開発により、欧米で自動車やバイクの生産販売が盛んになると、自然発生的に、欧米各国でモーターレースが開催されるようになりました。1900年にはフランスで国別対抗の国際レース「ゴードンベネット杯」が開催されます。この大会にはイギリスも参加していましたが、当時蒸気機関車の先進国で交通インフラ整備の中心を鉄道においていたイギリスでは「レース文化」が発達していなかったため、他国に太刀打ちすることができませんでした。
「ゴードンベネット杯」の結果を受け、イギリス国内でもモータリゼーション発展のためのレース開催を模索、当時自治権を持っていたマン島をレース会場として定め。1904年よるゴードンベネット杯出場の選抜レースを開催するようになります。しかし。わずか2年後の1906年、市街地レースであるが故の死傷事故の発生により、ベネット杯自体が廃止となり、イギリスは独自の国際大会として1907年に第一回「マン島TTレース」を開催するに至ります。

マン島

「最も危険なバイクレース」と言われる理由

マン島TTレースは、公道を使用して行われることで知られ、市街地にある一般道を時速330km以上の猛烈なスピードで駆け抜ける迫力が最大の特徴です。しかし、日常的に使用される公道を利用したレースであり、コース中には崖間際の道もあるなど危険性が高いことも、もうひとつの特徴となっています。
1907年の第1回大会開催以来、現在までにマン島TTレースで死亡したレーサーは240人を超えており、「最も危険なバイクレース」と呼ばれることもあります。一般参加が可能な走行枠では事故死する一般人も数多く、その走行枠の開放日は「マッドサンデー」とも呼ばれています。

マン島TTレースの凋落と復活

1970年代になると、レースの危険性を理由にいくつものメーカーやスポンサーが離れ、賞金がやすかったことからレーサーの人気も低下、1976年には世界GPから外され存亡の危機を迎えます。
しかし、1978年にロードレース世界選手権(WGP)など、数々のタイトルを獲得したイギリス人レーサーのマイク・ヘイルウッドがマン島TTレースへの参戦を表明、見事優勝をしたことで人気を回復、マイク・ヘイルウッドやジョイ・ダンロップなど「英雄」と呼ばれるレーサーを輩出し、現在もその人気を誇っています。

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