プロレーサー 高田速人
今回もDouble Boxは素晴らしいご縁を頂き、国内レースそして海外レースに参戦し、またインストラクターや製品開発に携わり、モータースポーツ界で活躍されているプロレーサー高田速人氏とお会いする事が出来た。高田氏とのご縁を繋いでくれたのは、以前Double Boxが取材したプライベートレーサー堀江昭氏である。堀江氏にとって高田氏は師匠であり、サーキットで次元の高いアドバイスのやり取りをしている師弟関係である。高田氏の奥深く、そして興味深い話にDouble Boxの体内時計は破壊され、気が付けば取材時間が3時間以上に及んでいた!もっともっと話を聞きたい!そんな濃い取材をさせていただいた。
子供時代
1976年生まれの高田速人氏が初めてバイクに乗ったのは3歳の時で、親戚が所有するポケバイだった。当時一緒にポケバイを初体験した6歳年上の兄も同時にバイクに夢中になった。その後中学2年生になった兄は、父親から買い与えられたDT50に乗り、河原の土手にあったオフロードコースでモトクロスを始めた。一方高田速人氏が本格的にサーキットを走るようになったのが、小学5年生の頃から始めたミニバイク(スズキのギャグ)である。サーキットを走るようになったのは「バイクに乗りたい!」という想いが先で、免許のない高田少年が合法的に走れるのがサーキットだったから。小学生からミニバイクでコースを走るようになり、中学2年生からサーキットを走り始めた。きっかけとなったのが当時亀戸にあったバイクショップである。そのバイクショップがミニバイクレースのチーム員募集していたのを偶然目にしてチーム員に申し込んだ事から始まった。チーム員になってからはバイクショップにオートバイを預けて整備等もしてもらい、サーキット走行やレースの時はショップに同行し連れて行ってもらうようになった。最初に出場したレースは、当時筑波サーキット近くにあったレーシングスーツメーカのルック杯であった。高田氏はレースに出たくて仕方ない、と言うよりは自然な流れで導かれるようにレースの世界に入って行った。
その後高校生になった高田氏は、ガソリンスタンドでバイトを始める事になる。ここでも自然な流れでレースへのご縁ができていく。それは高田氏がガソリンスタンドでバイトを始めて一人の男性と仲良くなった。その男性は日中ホンダのバイクショップで働き、夜はガソリンスタンドでバイトをしていた。男性が働くバイクショップはレース活動をしていた事もあり、高田氏はバイクショップに通うようになった。そのバイクショップは上板橋にあり、レース活動をしていた事、そしてそれまで通っていた亀戸にあるショップよりも近い事から、そのバイクショップに通う事となり、後のロードレースに繋がって行くのである。
高田家の父
高田速人氏は加藤大二郎選手や阿部典史選手と同世代でミニバイクレースに出場していたが、彼らとの大きな違いは親の方針であった。高田速人氏と兄がバイクを始めたきっかけは、本人たちの「バイクに乗りたい!」という熱い想い!そして2人はモータースポーツの世界にどんどん入って行く訳だが、高田速人氏の父親は、子供のモータースポーツのために時間やお金を費やすことはほとんど無く、「バイクを続けたければ自分たちで努力をして乗ること」という方針だった。高田兄弟は親からスパルタで後押しされるスタイルとは無縁で、本人たちがバイクを続けるために様々な事を模索し努力しバイクを続けてきた。「自分でメンテナンスができないようならバイクに乗るな」という父親だった。しかし父は決してバイクを否定していたのでは無い、バイクは危ないから乗るな!という事では無い。本人たちが自らの意思で道を切り開き、力強く進めるように礎を築いてくれたのかもしれない。兄弟2人のバイクに対する熱い想い感じ取っていた良き理解者であったのだろう。
ロードレース
高校を卒業した年の10月頃からロードレースを始めたが、卒業してからの数か月間ブランクがあった。当時、多感な年頃の高田氏はレースを続けるのか、または違う道に進むのかで胸を痛めた時期があった。その時、自分のバイクを始めたきっかけを思い返した。バイクに乗りたくて始めたわけだが、もう一つ、”人に感動してもらいたい”という想いがあった事を再確認できた。そしてロードレースを始めてみると、ミニバイク時代以上に自分の走り方や様々な事柄が上手くマッチングしていった。タイムも出てきて良い具合に走り始める事ができ、そこであらためてしっかりレースをやって行こうと決意した。
db:高校を卒業した年の10月過ぎからロードレースを始めて、21歳で国際ライダーに昇格しましたが、昇格がとても早かったですよね!
高田氏:高校を卒業した年に出場したレースは2レースだけでした。僕はスーパースポーツにしか乗っていないイメージかもしれないけど、元々ロードレースを始めたのはNK4というクラスで、CB400super fourがベースでした。鈴鹿・筑波・エビスの3つのコースで年間戦っていました。チームは高校の時にアルバイトをしていたガソリンスタンドの先輩が紹介してくれたファニーと言うチームでした。初年度に優勝したチームはハニービーで、ファニーはハニービーの後輩的存在にあたるチームでした。
そしてファニーは2年目の鈴鹿4時間耐久レースに初挑戦する事になり、自分に声がかかって4時間耐久を走ることになったんです。高校を卒業してから思うところあって少し休憩をしていましたが、再度走ることになったんです。あの頃はノーマルのCB400super fourをチューニングしてレーサーに仕上げていくんですが、そのレーサーを造っていく過程は様々な事を学んだ場でもありましたね。
1995年、高田氏は鈴鹿・筑波・エビスでNK4クラスを走った。戦績はエビスでは全戦ポールを取る活躍を見せ、エビスでチャンピオンが確定した。その後1997年の鈴鹿8耐出場のオファーがあった。1997年の鈴鹿8耐に出場するには前年の1996年に国際への昇格が必須であった。NK4は昇格対象レースではなかったので、高田氏はRS250でGP250に参戦した。高田氏はNK4とGP250の双方を走り、鈴鹿の4耐も出場した。4耐が終わった後は8耐の練習に入った。駆るマシンはRC30のスーパーバイク仕様。1996年は今迄には無いハードな年となった。
db:高田さんは鈴鹿8耐に選手として何回出場しているんですか?
高田選手:2000年 2001年 2002年 2004年 2006年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2015年 2019年、12回ですね。
db:12回ですか!凄いですね!
db:ホンダからBMWに変わりましたが、双方のマシンに対するイメージはどうですか?
高田選手:そうですね、ホンダは「こういうふうに走れば速く走れるよ」みたいに乗り方の制限をしてくる感じ。一方BMWは乗っている人間を守ろうとする考え方が強く感じられますね。例えばオーバースピードでコーナーに入ろうとした時に、ライダーはオーバースピードを認識しているからブレーキを普段より握りこんだりするじゃないですか、その時にホンダのバイクは何とか曲がろうとする。曲がって行けちゃったりもするんですが、BMWが同じ状況下でコーナーに突っ込んでいってしまうとフレームが開くからマシンが倒れ込まないんです。
db:え?フレームが開く?倒れ込まない?どういう事ですか?
高田氏:そうですね、簡単に言うと、リジットマウントとラバーマウントってありますよね。リジットマウントは確かにカッチリ感が出る。しかし振動などでクラックが入るからそれを防止するためにラバーマウントにする、というのが普通なんですね。そして大きい排気量のマシンだとアルミフレームでラバーマウントはほぼ無いんですよ。理由はちぎれちゃったりするので。基本的に国産のスーパースポーツのフレームはアジャストボルトというのが付いていて、エンジンをフレームに乗せます、アジャストボルトで左側に寄せます、フレームの左側にエンジンを寄せておいて左側を締めて留めます、そこから右側を締めこんで留めるわけです。両側から挟む、そんな感じ。で、BMWはというと、エンジンを積みます、アジャストボルトで位置を出します、締めます。ま、基本は一緒なんですよ。なんですけど、右のフロントエンジンハンガーのところ2つだけフリーなんですよ。つまりオーバースピードで突っ込んでフレームに負荷をかけた時にここが開くんですよ。つまり縦に入ってきた力をフレームが開いて逃げるんです。結果バイクが寝なくなるからオーバーランするしかないんですよ。そんな状況で国産だったら曲がって行けるか、と言うと綺麗には曲がって行けないんですよ。BMWはその手前で「これ以上ダメだよ」と訴えかけてくれるというか、ライダーを守ろうとしているんだろうなって思う。転倒しても壊れるところが国産とは違うしね。
db:そうなんですね。実に興味深い話ですね!私には体験できない高次元の話ですが(笑)
高田氏:だからBMWに乗って早く走ろうとしたときにコーナーに突っ込み過ぎちゃダメなんですよ。良いところが出ない。早めにブレーキをリリースして入って行って早めにアクセルを開け始めてリアにトラクションをかけて乗って行く方が速い。筑波で走っている人たちを見ているとS1000とかに乗っている人で完全に間違った乗り方をしているライダーさんを見ますね。それとS1000はフロントの接地感が出ないんですよ。何故かと言うと、クランクシャフトとカムシャフトが逆回転なのでお互いが打ち消し合っちゃうんですよ。ブレーキをかけて、バーンとシフトダウンしていくと、エンジンブレーキが効いているときにカムシャフトとクランクシャフトが同じ方向で回っているとフロントタイヤに覆いかぶさるように荷重が乗ってくるんですよ。ところがカムとクランクが逆回転で打ち消しあっちゃうのでフロントタイヤの接地感が出にくいんです。出にくいから余計にやってしまう。するとフレームが開いてしまうんですよね。
db:なるほどですね!!
高田氏:いずれにしてもBMWの車両自体は懐の広い車両ですよ。
db:国産SSとBMWではそもそもその辺りの乗り方が違うんですね!
db:高田さんはスーパースポーツでサーキットを走るとしたら、どのマシンが好きですか?
高田氏:ん~。やはり乗りやすいなと思うのはBMWが乗りやすいと思います。うちでやる走行会の時にサーキットをタンデムで走るんですよ。そうした時に国産のスーパースポーツにお客さんを乗せて走ると膝を擦れないんです。ところがBMWだとタンデムで普通に膝を擦れるんですよ。そこはやはり安定感があるというのも懐の広さだと思いますね。決してBMWだけが凄く優れていてBMWが一番良いとは思わないけど、今のこの時代でBMWが結構真面目にバイクを造っているなっていう感じはするんですね。国産メーカーのオートバイで、オートバイという乗り物の事をちゃんと考えて造っているな~と思うのはカワサキですね。
db:お~。そうですか。(カワサ菌の私は嬉しい(笑))。しかし、タンデムで膝を擦るとは凄いですね!
高田氏:いろんな機種に乗るんですが、そんな中ZX10Rに乗ったんだけど、凄く良いなこれ!って感じましたよ。凄くちゃんと出来てるなって思いました。前にもある雑誌の取材でカワサキの現行5車一気乗りのような企画があって、Ninja1000、Z1000、10R、ZZR、1400GTRに乗ったんですけど、真面目に造っていることが伝わってくるし、各マシンにユーザーが求めている事をちゃんと理解して、真面目にバイク造りに取り組んでいる事を感じました。
db:そうですか。良いですね。私まだ最新のZX10Rに乗っていませんが早く乗りたくなってきました。
高田氏:現行のあの形になってから出来もいいから良いと思いますよ(笑)
db:話を少し戻します。耐久レースは長丁場で陽が落ちればライトオンで走りますが、ドライの昼と夜では相当タイム差があるんでしょうか。
高田氏:走るコースによって違うとは思いますが、例えば鈴鹿8耐であれば昼夜のタイム差は1秒くらいかな。
db:え!1秒だけですか!凄いな~!もうその世界、ぜんっぜん分かんないっす!
高田氏:フランスにあるマニクールは暗かったな~。全然見えね~って感じ(笑)
db:そうだ!高田さんは海外レースも出場されてますね!
高田氏:はい。ルマン24時間に出場しています。
高田速人氏の兄
冒頭にも述べているが、高田氏には6歳年上の兄がいて、大きなレースが有ると必ず兄は来ていた。それは高田氏が兄に声をかけてレースに来てもらっていたのである。そんな高田氏に兄は「特に何もやってあげられないのに、なぜレースの度にサーキットに来れないか聞いてくるの?」と聞かれた。高田氏は来てもらえることで安心感を感じるし、お守りのような存在であることを兄に伝えた。それを聞いた兄は「大きなレースには必ず行くよ!」と言ってくれた。とは言え海外のレースにはなかなか同行する事は出来なかったが、2013年のルマン24時間の時はヨーロッパのレースも見せたくて兄を同行させた。実はその最愛の兄は2007年に癌を発病していた。その時の手術は成功し元気な兄に戻った。そして2013年のルマンである。兄も念願のルマンへ同行した。そのルマンで兄から打ち明けられた。
「実は病院の検査で引っかかったんだ」と。ルマンが終わり、帰国後病院に通い治療に専念した。高田氏は2015年の鈴鹿8耐の後はほぼレースに出ていない。と言うのも兄の病状が余り良くなかった。高田氏は兄を見て、「あ~、少し厳しいかな~」と思ったという。それまでずっとレースに同行してもらい、夏になれば1週間泊まり込みで鈴鹿8耐に出場してきた訳だが、2016年は暖かい季節になったら兄とツーリングに行ったりレース活動ではないところで兄と一緒に時間を過ごそうと高田氏は計画し、自身のレース活動は入れなかった。2016年の開幕戦で三原荘紫や國峰琢磨を表彰台に上げて一区切りつけた高田氏が兄に連絡を取った。するとその日から入院だと告げられた。病状が重くモルヒネを打ち始めた。兄は「バイクも車も乗っちゃダメなんだって。。。それに、あと1か月だって言われたよ」と。高田氏は毎日兄を見舞いに入院している大学病院に通ったが、それから1か月後の5月に共に駆け抜けてきた最愛の兄が亡くなった。
海外レース
db:高田さんは3年間海外でレースをやってきたという事ですが、海外のレースはいかがでしたか?
高田氏:そうですね、2013、2014、2015年の3年間やってきたわけですが、1年目はどこのコースに行っても始めて走るコースな訳ですよ。3人のライダーでセクションをこなすから、1人あたりにするとそんなにコースを走る事が出来ないんです。始めて行ったコース、ほとんど乗ったこともないマシン、それでもタイムを出さないと私のリクエストを聞いてくれない。どういう事かと言うと、1年目のドイツのレースで1分35秒のタイムで走り、トップが28秒後半ぐらい。そのチームのトップが30秒くらい。その時フロントのイニシャルが足りないことに気づき、メカニックに「フロントのイニシャルをかけたい」と言ったら「BMWはこんなものだ」と言って取り合ってくれない。その後徐々にタイムを上げて行き、予選前のセクションの時にチームのトップタイムと同じまで上げていった。再度、メカニックにイニシャルを上げるよう伝えても同じ答えが返ってくるだけ。その時高田氏はマシンから降りて道具を手に自らイニシャルを上げてコースに戻った。そして29秒のタイムを出しピットに戻ると、メカニックが工具を手に持ち「速人、次は何をする?」と言った。それほどタイムを出さないと何もやってくれない。
db:正に実力主義、厳しい世界ですね!海外のレースは年間何戦だったんですか?
高田氏:年4戦でボルドール、鈴鹿8耐、ドイツ、ルマンの順ですね。4月から9月の間が割と詰まってる感じですね。
db:ルマンは24時間走るんですよね。何人のライダーで走るんですか?
高田氏:3人ですね。
db:どのレースがヘビーですか?
高田氏:8耐ですね!
db:8耐ですか!それはやはり気温ですか?
高田氏:そう。気温が高いとこんなに体力を奪うんだ!って感じですよ。それはもう大変ですね。走っていて「キツイな!」って感じるのは鈴鹿8耐ですね。
エビスサーキット走行会
db:それでは高田さんが主催しているエビスサーキットで開催される走行会について教えてください。
高田氏:エビスの走行会は今年(2019年)で15年になるんですが、年4回開催しています。大人の運動会的な走行会です。昔サーキットを走る人ってほぼレースをしている人たちで、少しギスギスした感じがありました。しかし今サーキットに来る人、走行会に来る人はレースをやる人だけではなくて、様々な趣向の人が来るようになったんです。例えばレースの練習に来る人、普段公道を走るときの走行技術を磨くのが目的の人、仲間とのツーリングで上手に走れるようになりたい人、等々、各々それぞれの目的をもってサーキットを走る時代になっていますね。エビスの走行会では模擬レースをやって楽しく競い合ったりしています。コースを走る時にお客さん同士がラフな走行にならないように、一緒に楽しくケータリングの食事をとったりして参加者同士が顔見知りになれるような機会を設けています。速い人がそうでない人を気使う、そんな楽しい走行会ですよ。その他にも様々な趣向を凝らして参加者みんなが楽しめる大人の運動会になっていますね。多くの人がリピーターになってくれています。
db:エビスではサーキット走行以外にメニューはありますか?
高田氏:毎回様々なことを取り入れていますよ。例えばタイヤメーカーやオイルメーカーなどが出店したり、燃料添加剤のテストをやったり、ブレーキパットやディスクのテストをやたり、移動シャーシダイナモを持ってきてパワーチェックやセッティングをしたりしてますね。あと、大型車にみんなを乗せて僕がバイクで走ってラインを見てもらったり、ドリフトマシンの助手席に乗せてドリフト体験会をしたりしてますよ。
db:それは盛り沢山で楽しそうですね!充実してますね!
高田氏:そうですね!参加する人たちが「今日は自分が一番楽しんだぜ!」って帰ってくれると嬉しいな。エビスの走行会が終わって家に帰って。「今日も楽しかった」と感じてもらえる事が僕の喜びですね!
db:なるほど!素晴らしいです!
db:次回の走行会はいつですか?
高田氏:次は10月2日に開催します!
db:楽しみですね!!
高田速人氏からのアドバイス
db:高田さん、我々の様な趣味でレースをやったりサーキットを走っているライダー達にアドバイスをお願いします。
高田氏:そうですね。五感を信じる事も大切で何か乗り辛いな、とか、何かおかしいなと感じるときはそれ以上やらない。それと今日乗れているな という時はだいたいが勘違いだったりする事が多いかな(笑)。
db:あはは、なるほど。私など「乗れてるな」なんて思ったら更に無理しちゃいそうですから注意します(笑)
高田氏:気を付けてくださいね(笑)
高田氏:サーキットを走って練習をする時は当然速く走る為の努力が必要です。例えば、ストレートでちゃんと上体を伏せてみるとか、ブレーキをかける時はちゃんと体を起こすとか、そういう動作も不可欠。ツーリングのように2速固定で走るとか、3速固定で走るとか、それは速く走ろうとする努力ではない。速く走る為の努力をしたうえで結果が、速度域が遅かったとかタイムが出なかった、というのは前向きで良いのと思う。それと、簡単に言ってしまえばチェッカーを受けなければ結果は残らないんです。10位だろうが1位だろうが。そこそこ順位が上の人は、成るべくして成っている人達です。自分のテーマを考えながら、”勝つために何をすればいいのか”に的を絞ってテーマを持って練習を続ける。何も考えずにただ走っている人はその位置に行けないんですよ。勝つためには”どうすれば良いのか”、を考えて、的を絞って取り組むという事。あとは、基本的に流行りとか他人の言う事をあまり信用しない。他人がやっていない事にトライする方が、他人より秀でる部分になる可能性があると思う。勝つために何をするのかですね。例えば僕の場合なんですけど、雨が得意なんです。雨が好きだって言うのもあるんですけど、雨で速く走れるか走れないかはハートの問題なんですよ。ハートが強い、という事ではなくて、雨が”好きか嫌いか”、という事。それと雨で速く走るには、やはりオープニングラップをどれだけ速く走れるかでレースの結果が大きく左右します。その為にウォームアップで無駄なタイヤの温め方をしないとか、諸々関わる事をシッカリ考えて臨めばオープニングラップから高いところのペースで走れるわけです。色んな事を考えて、色んな事に対し結果が出る為の準備をして、結果雨でも速く走れるという事になります。それと、サーキットを走る時は無理はしないでください。でも一生懸命トライはしてください。「無理をする」、例えば離されたら「付いて行かなきゃ」と焦り、で、アクセルを開ける。一方の「トライをする」、自分がこういう風に走りたいな、とか、ああいう風に走りたいな、という事を考えて色んな乗り方を試していく。そうして続ける事で、結果上達して行きタイムが縮む。タイム有りき、で走るのではなくて目標に向かってトライし続ける事。
db:なるほどですね!とても勉強になります。ありがとうございます!
高田氏の夢
db:それでは最後になりますが、高田さんの夢をお聞かせください!
高田氏:そうですね。海外のレースを日本人だけのスタッフで戦ってみたいですね。それと、日本もヨーロッパのようにオートバイが市民権を得られると良いなと思います。
db:市民権ですか?
高田氏:はい。ヨーロッパは子供から高齢者までバイクに対して理解のある方が多くて、街を走る車やバイクと人々の生活が密接に良い関係を築いています。また、レースでも、例えばレースファンやヨーロッパのカメラ小僧を見ればよく分かりますが、ファンにとってレースに参戦している全てのレーサーが彼らのアイドル的存在なんですね。サイン会の時などファンはまんべん無く全てのレーサーにサインを求めるんです。しかも自分で用意してきなレーサーの写真に。だからレーサーは結構長時間、サインしていますよ(笑)将来日本のオートバイも市民権を得て、そしてモータースポーツも盛んになって、ヨーロッパのファンが「やっぱりモータースポーツはジャポンだね!」ってなる日が来ることを願っています。最後に、今私がこうしていられるのも、やはり幼いころから続けてきたモータースポーツ界で、本当に多くの人たちにお世話になって支えられて来たからなんです。その人たちにご恩返しする為にも私は日本のモータースポーツ界が繁栄する事を願うし、そしてモータースポーツ界繁栄の為にこれからも取り組んでいきたいと思います。
db:高田さん、本日は良いお話を沢山聞かせていただきました。本当にありがとうございます。日本のモータースポーツ界繁栄のためにこれからも益々のご活躍をお願いします!今度エビスに参加させてください!本日はありがとうございました!!
高田氏:はい!是非是非。こちらこそありがとうございました!
編集後記
今回は貴重なお時間を拝借してお話を沢山聞く事が出来た。
高田氏は足回りやオイル、タイヤ、ステップ等々、バイクに係る様々なパーツや商品の開発に携わって来た。ビックネームに頼る事無く、自身の培った正しい知識と豊富な経験値を正しく使って各界のライダー指導も行っている。レース界だけにとどまらず、自動車教習場の2輪教官の指導も行っているのだ。また、最近ではサーキットのスポーツ走行を利用するライダーの目的がレースの練習だけではなく、多岐に渡る事も高田氏から教えていただいた。高田氏の「同じ商品でも人によってそれがベストであったりそうで無かったりする。その人にとってベストな選択肢を伝え、そしてその人にとってベストなアドバイスをする必要がある。命に係わるから。そして今後も人に伝えていくには僕自身がレースを続けて行く事も必要です」という言葉も印象的だった。私が若いころ通っていたバイクショップは愛想が悪く、まさに”The無骨”であったが、彼らは我々客の安全を心配し、また楽しくバイクに乗る事を真剣に教えてくれたものだ。無骨ではなくジェントルな高田氏だが、目を見てお話を聞いているうちに、そんなハートフルな昔通っていたバイクショップを思い出して心がほっこりした。
高田氏のように、常に”善意の決断”をしている男はカッコいい!
そんな善意のカッコマンが増えて行けば、モータースポーツ界の未来を担う子供たちが目をキラキラさせて、カッコいいレーサーやメカニック、そしてレース関係者に憧れ、そこを目指し、日本のモータースポーツ業界はますます反映し、ヨーロッパに負けないモータースポーツ大国になると強く感じた。もし、ネームバリューに任せて怖いアドバイスをする人や己が飯を食うためだけに業界で仕事をしている人が、もし、いたとしたら、人の命がかかわっていることを再認識していただき、一緒に日本のモータースポーツ業界繁栄のために尽力していただけると実に心強いなと思う。
プロとは人の幸せを願い、人を幸せに導き、そしてその代価で生かされる
最後に
最愛のお兄様が天国から高田速人氏の活躍とモータースポーツ界の繁栄を笑顔で見守っている事でしょう。
2019年10月2日はエビスサーキットで高田速人氏が主催する走行会があります!